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sonmei’s diary

主に読書記録です。拙いです。

レイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」を読んで

 

  つい2日前に村上春樹の新作長編「騎士団長殺し」が発売になり、どの書店でも最も目立つ場所に、それ自身が発売を記念するオブジェのように人々の胸のあたりまで高く積まれている。私自身は中一の頃に「海辺のカフカ」に衝撃を受けて以来の村上春樹ファンである。それほど読書家なわけでもないけれど、彼の作品は短編長編エッセイ問わずほとんどの作品が家の本棚にある。ただ巷でハルキスト(村上春樹自身は村上主義者と名乗ってほしいと言っていたのを確か村上さんのところで見た気がする)と呼ばれている村上フリークのようには深く読み込んではおらず、どちらかというとライトノベルの感覚で流すように読んでいた。正直彼の作品はラノベ表紙でも十分違和感ない気もするし、それだけ平易な文章が彼の作品の魅力でもある。

 「騎士団長殺し」はamazonで届いていたので早晩読むとして、その前に私は「ロング・グッドバイ」という村上春樹によって翻訳された小説を読み終わった。翻訳作品に関しては「グレート・ギャッツビー」や「人生のちょっとした煩い」、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」そして「フラニーとズーイ」を手に取ったことがあったが、どれも読んでいて楽しい気分になることはなかったし、途中でやめてしまった(いずれ読むことにはなるだろうが)。私は海外文学なんて奨学生の時読んだハリーポッターシリーズくらいしかまともに読んだ本はない(さすがに言いすぎか)。海外に行ったことのない(飛行機に乗ったこともない)ので海外を舞台にした小説は貧弱な想像力の下でしか読むことが出来ないと感じているからだ。日本を舞台にした話であれば、仮にも18年間生きているので脳裏には日本の風景というものがしっかり印象付けられているのに対し、海外を舞台にしたものはほぼほぼハリウッド映画のシーンにいくらか手を加えた形でしか考えることが出来ないからだ。加えて英語は一応勉強しているわけだから、翻訳に今手を出さずに自分が英文がスラスラ読めるようになってから読めばいいものだと思っていた。しかし未だにその境地には至っていない。「ロンググッドバイ」はそれなりに厚い本だったし、村上春樹の翻訳なら彼の作品世界を理解するうえでも読んでおくべきだろうということで、久しぶりに海外文学を手に取ってみた。

 とりあえず最初に巻末の村上春樹による解説に目を通して見た。総計50ページほどもあり、本編読まなければわけがわからなかったが、この小説は彼が高校生の頃に初めて手に取り、それから折を見つけては何度も読み返してきた小説なのだそうだ。小説を読み進めていても、文章のリズムは村上春樹のそれとなんとなく似たような気もするし、例えば単体で用いる「あるいは。」といった彼の小説によくみられる表現も随所に見えた(これは清水俊二の場合でもそうなのか、彼がこうした英語の小説を読んで好んで使うようになったのかはわからない)。ただ小説世界は村上作品のそれとは大きく異なるし、フィリップ・マーロウのような人物は出てこない。マーロウが自身の自我を読者に対し巧妙に隠すのと反対に、基本的にやわな村上作品の男性たちは、「やれやれ」と周囲に対して距離を取りながらも自我をさらけ出さずにはいられない。そして彼自身がいうように、村上春樹の表現のリズムを感じながらも、その背後にはレイモンド・チャンドラーという血肉の通った人間の存在をありありと感じさせる。彼の独特の文体は、想像力が蚤の糞ひとつまみ分ほどしかない私にも、アイドル・ヴァレーのロジャーウェイドの屋敷やヴィクターズというバーやレノックスがメキシコの安ホテルで手紙を書いているところなんかをかなり鮮明に想像させた。

 こういうハードボイルド小説は読んでいて楽しい。学園モノや一部の異世界モノや歴史小説なんかは相変わらず苦手だが。

 昔nhkでドラマ化したらしいから機会があったら見ようと思う。

 

 もっとちゃんとした感想をかけるようにならねば。